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マセラティ
イタリア北部のアルペン山脈の近くに、イタリアでも有数の工業都市、ボローニャが有る。1914年、ボローニャ旧市街中心部のポペリ通りに、アルフィエリ・マセラティ工房株式会社が設立される。マセラティのエンブレムはボローニャのシンボルの一つである「ネットゥーノの泉」のネプチューンが持つ「トライデント」という三叉の銛がモチーフとなっており、創業者のアルフィエーリ・マセラティと、後に参加した弟のエットレ、エルネストの3人の結束を表している。エンブレムの考案は絵を好んだ弟のマリオが発案したとされている。
マセラティ兄弟は、会社設立前に働いていたイソッタ・フラスキーニの車のチューニングを主業としながら、数々のレースにも参戦し優勝を収め、マセラティの企業イメージを高めた。1932年3月3日、アルフィエリが逝去、1937年にマセラティ兄弟は自社株式を売却した。
60年代までに数々のモータースポーツのレースで優勝してきたマセラティは、1957年、正式にレースから撤退。しかし、輝かしい名門の歴史は、決してフェラーリやランボルギーニに引けをとらないほど、今もレーシングファンの間で語り継がれている。
中古車としてのマセラティ
1970年代にデ・トマソ傘下になり1984年に発売されたビトゥルボは、大量生産を意識した、名門を求めやすい価格で購入できるモデルとして顧客層の開拓に成功。しかし、少数生産だった組織体制での量産は難しく、結果的に品質を落としてしまい、壊れやすい車として認知を広めてしまう。1997年フェラーリ傘下になると品質向上が行なわれ、飛躍的に評価を伸ばしたものの、中古車売却相場は故障のイメージが強く、買取価格も値崩れが車種によって激しい。ポルシェと同様にSUV市場にも乗り出し、さらなる顧客獲得を目指している。セダンタイプの車種は、日本の規格としては大きく、査定額も低くなりがちだが、SUVやスポーツタイプは人気があるのでオススメだ。
イタリアの名門、再び
近年、マセラティの売上は劇的に上昇しつつある。かつて故障の絶えない車という印象は、払拭され始めたのだ。元々、高いブランドイメージやイタリアブランドならではのお洒落な内装も相まって、フェラーリやランボルギーニにない快適性や機能性、高級感は群を抜いて素晴らしい。本来のグランツーリスモ思想の草分け的スーパーカーとして、根強いファンも多い。今後、100年以上の歴史を誇る名門がどのように変貌を遂げていくかが大変楽しみだ。