大切な車を売る

ランボルギーニ

誕生から現在まで、ランボルギーニは世界のスーパーカーの既成概念の根底を、常に塗り替えてきたと言っても過言でないのが、フェラーリと人気を二分する自動車会社「ランボルギーニ」だ。フェラーリなどに見られるスーパーカーの乗り心地が最悪であった時代に、いち早く異議を唱え、デザイン性の高さはもちろん、洗練されたインテリアや乗り心地を追求。当時の「普通ではない」を初めて体現できた車といえる。創業当初より、オリジナルエンジンの開発やカーデザインに対して一切の妥協を許さず、洗練されたそのフォルムが生み出す感動は、今でも他の高級スーパーカーとは一線を画し、驚きを通り越して衝撃だ。
フェラーリと並んで、値崩れの少ない車としての理由は、こうしたモノづくりへの変わらない情熱と、それを愛する熱狂的なファンによって支えられている証拠といえる。

ランボルギーニは1963年の設立からわずか数年の間に、驚異的なスピードでニューモデルを次々と発表し、マセラティやフェラーリと肩を並べるほどの存在となる。同社は数々の名作と呼ばれる車を世に送り出してきた。中でも、同社の第一次黄金期を席巻したのがランボルギーニ・ミウラだ。攻撃性とエレガンスをまとった圧倒的個性を持つこの車は、1966年のイタリアモーターショーでセンセーショナルなデビューを果たし、熱狂をもってオーディエンスに迎え入れられ、商業的にも大成功を果たした。今では驚きのプレミア価格が付いている世界の名車の1つである。しかし、車とは対照的に、ランボルギーニに暗雲が立ち込め始める。

伝説の名車、カウンタック

多くの傑作をリリースしてきたランボルギーニであったが、イタリアの社会状況の煽りや政府と結ばれていた受注のキャンセルで資金難に陥る。オイルショックも相まって、ランボルギーニは、会社や株の売却や譲渡を余儀なくされた。
8年間に渡り革新的な車を生み出す原動力となり、会社を牽引してきた創業者のフェルッチオ・ランボルギーニが、1974年、自動車業界から引退する。その後、ランボルギーニは1978年に倒産し、後にアウディの傘下に入ることとなる。倒産前の厳しい経営に晒されながらも、なんとか生き残ってこれたのは、伝説の名車カウンタックがあったからだ。
1971年、究極のミウラと呼ばれたミウラSVがジュネーブモータショーで発表されたにも関わらず、この車はあまり注目されなかった。ミウラSVの存在感をかき消し、会場の視線を独占したのがLP500、カウンタックだった。フロントフェンダーからテールまでの曲線美やガルウイング、ボンネットやルーフとシームレスにつながるフラットなフロントスクリーン。会場でその車を見たものは、見たこともないボディラインとディテールに、感動のあまり言葉を失ったと言われている。
初期型カウンタックの中古車が、オークションで1億を超える値段で取引され注目を集めたが、まさにあの時代を象徴する一台だからこその値段である。

愛され続ける暴れる牡牛

多くの難局を経ても尚、ランボルギーニという会社が現在まで生き残ってこれたのは、偏に、同社のモノづくりの姿勢の賜物である。「暴れる牡牛」が多くの人に愛され、望まれてやまないのは、度重なる困難に晒されながらも、「他とは違う」を追求し我々の欲求を常に満たし続けてきたからだ。レヴェントンやエゴイスタなど、これからも我々が度肝を抜かれるスーパーカーを作り続け、その圧倒的なアイデンティティを発信し続けてほしい。